今、日本には、精神的に子供のままの大人が蔓延していると謂われています。本来、教育には人間教育(いわゆる人づくり)と知識教育の両面が不可欠ですが、キチンとした人間教育をしないで、知識教育、とりわけ大学入試を目指した偏差値一辺倒の偏(かたよ)った知識教育だけを行っている学校教育に大きな問題があります。
要するに、偏差値が高いとか低いということは人間形成のレベルには全く関係ないのであり、「人間いかに生きるべきか」を真面目に考えたことのない学生に、大学でいくら高度の知識教育を施しても、人間教育という意味では成果など望むべくもなく、まさに砂上の楼閣ということになります。
このゆえに、高度で豊かな知識は身につけているが、「自分の頭で考えない」、はたまた「他人の頭で考える」習慣が抜け切れないまま無責任に社会に放り出されているのが(一人前と見なされている)いわゆる社会人の実体と言わざるを得ません。
言い換えれば、現代日本社会においては「日本人、いかに生きるべきか」の方向が示されていないということであり、これこそがバブル期以降、日本社会に漂う重苦しい閉塞感の原因であり、根源であると言わざるを得ません。
つまり日本人は「何が正しく、何が間違っているのか」という原理・原則で動くのではなく、まさに「和を以て貴しとなす」に象徴されるがごとく、日本人特有のあいまい・馴れ合いの情緒的大勢追随思考で動くということであります。
そのゆえに時としてマインド・コントロールされ、思考停止のまま、お上(組織の上位者)の権威に盲目的に服従するという奇観が露呈されるのです。
この従順にしてオメデタイ日本国民が今まさに直面しているのが組織や国家をあてにできない社会であり、個人が自立して生きるしかない自己責任の時代であります。
もとより、そのような事情はひとり個人のみならず、破綻寸前の赤字財政を抱え税収不足に悩む国や地方自治体、多様化する一方の消費者ニーズをいかに掴むかで四苦八苦している企業も例外ではありません。
このような変革と動乱の時代にあって、今、まさに学ぶべきものは孫子に代表される兵法的思考であると断言できます。
兵法的思考の特色は、目的は何かを常に想定し、それに応じていかなる戦略戦術が立てられねばならないかが要請されるところにあります。つまり、問題解決というレベルで捉えれば、抗争・葛藤の原理たる兵法的思考は極めて合理的かつ有効な視点を提示するものであります。
個人であれ組織であれ、その内面であれ外面であれ、常にさまざまな抗争・葛藤関係が生起するのがこの世の定めです。それら諸問題への対処の方法を探り、解決のヒントを得るものが抗争・葛藤の原理たる兵法的思考であるということです。
このブログでは、時々の時事問題などを採り上げ、兵法的思考の観点から事の本質を考察することにより、兵法的思考開発の方法を提示するものであります。