2007年08月09日

3 エセ改革者・小泉前首相の幻像、未だ覚めず

 不運にも、似非(えせ)改革者・小泉前首相の身代わりに指名され、その猿真似をしたに過ぎない「ぼんぼんのお友達内閣」たる安部政権は、今回の第21回参院議員選挙において、「食い逃げ・勝ち逃げ」をした前政権のツケを全面的に支払わされる形で、国民の大鉄槌を受け歴史的大敗を喫した。

 このことは、既に予測されていたこととは言え、その惨敗振りは(小泉前首相の個人的趣味嗜好のレベルで無責任に行われた)いわゆる弱者切捨てを容認する競争原理に基づく新自由主義政策への国民の反感・怒りの強さが見て取れる。

 その意味では、この歴史的惨敗は、単に安部首相の宰相たるの資質や能力、閣僚の不祥事・不始末などに拠るものではなく(それは起爆剤として作用したに過ぎない)、その真因は、この五年間、ひたすら独特のパフォーマンスを繰り広げて国民を欺き続きけてきた小泉政権の無責任さのツケに起因するものと言わざるを得ない。

 むしろ、お坊ちゃん育ちの安部首相の立場は、いずれ馬脚を現さざるを得ない宿命を誰よりも承知していた小泉前首相が「後は野となれ山となれ」式に絶妙なタイミングで引退するに際し、その花道を飾るために巧みに仕組んだ一種の身代わり、もしくは時限爆弾であったと言わざるを得ない。

 因みに、孫子はリーダーの在るべき姿について『進みては名を求めず、退きては罪を避けず』<第十篇 地形>と論じている。小泉前首相の場合はまさにその逆で、エセリーダーたるの名にふさわしく「進みては名を求め、退きては罪を避け」であったと言わざるを得ない。

 このようなエセリーダーを宰相として仰がざるを得ない日本及び日本人は、国家としても国民としても不幸の極みである。

 その意味で、阿部首相の罪は、「官から民へ」「改革なくして成長なし」「大きな政府から小さな政府へ」などの空疎なキャッチフレーズばかりが強調され、その本質は覆い隠されていた小泉改革の恥部や暗部に目を背け、その光の部分のみに心を奪われ、恩に着せられ、恩に着て無分別にもその二代目に収まったことにある。

 そのゆえに、そのツケ払いは当然のことながら自分自身で払わなければならない。普通の大人であれば、今さら「実は、騙されました。私は単なる身代わりでした」とは口が裂けても言えないからである。


 ところで、8月7日付け朝日新聞の「声」欄に「郵政民営化の凍結案に仰天」と題された投稿があった。まさに仰天するその内容を要約すれば次のようになる。
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1、郵政民営化の凍結案など参院選の公約のどこにも書いてない。国民新党との野党共闘のために民主党が郵政民営化の凍結案を持ち出すならば完全な本末転倒だ。

2、二年前の衆院選は、小泉前首相が「郵政民営化か否か」を国民に直接問いかけ、焦点がはっきりしていた。小泉人気や戦略のうまさばかりが喧伝されるけれども、結果を見れば、「郵政民営化」が支持されたのは紛れも無い事実である。

3、自民党がそれをうやむやにして、なし崩しに抵抗勢力を復党させている。それに対する嫌気も選挙結果に少なからぬ影響があったはずだ。

4、民主党は(郵政民営化の凍結案をやるなら)選挙前に公約すべきで、突然持ち出すのは完全な反則である。民主党は拙速で政局を狙うのをやめ、何が自分たちに期待されているのか、もう一度、議論し直すべきだ。
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 投稿者は千葉県の48歳・男性(フリーライター)の方であるが、私はこの意見に大いなる怒りと失望を感じた。そして考えた。

 言葉を持ち考えるがゆえに人間は万物の霊長なのであり、そのゆえにまた人間は、仮想と現実の間に生きる者でもある。まさにその意味では、夏目漱石の彼の「草枕」にあるが如く「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」のが人の世の常である。

 問題は、この両者をキチンと弁(わきま)え、機に臨み変に応じてその兼ね合いをどう判断するかということである。

 言いえれば、政治は徹頭徹尾リアリティーの世界であるのに対し、ファッションやデザイン、歌舞音曲の類は、好き嫌いの感情、感覚や感性などを主とする世界である。その意味で、前者は「智」の働く世界であり、後者は「情」の働く世界である。

 この両者のいわゆるTPOを間違え、かつ、それに固執すれば「意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」ということになる。

 言い換えれば、「味噌とクソは別」なのであり「月とスッポンは違う」のである。いくら形や色が似ているからといって両者を混同すると現実の生活は成り立たないのである。

 私が強い怒りと失望を禁じ得なかったのはまさにこの点にある。つまり、この投稿者(仮にA氏とする)は、どう考えても国民の司命、国家の安危に関わる政治をあたかもファッションやデザイン、歌舞音曲の類を鑑賞するが如きと同列の感情、感覚や感性をもって判断していると言わざるを得ない。

 別言すれば、A氏は自分ではさも分かったつもりで書いているのであろうが、実は自分自身で何を言っているのか実はよく分かっていないのではないかと疑われるのである。

 子供騙しのような彼の小泉劇場が案に相違して功を奏したのは意外とA氏のごとき思考パターンの人が多かったゆえかもしれない。もとより、A氏には怨みもつらみもないが、ここでは、「政治はファッションに非ず、国民の司命、国家の安危に関わる重大事である」という観点から論じて見たい。

一、A氏は、「郵政民営化、是か非か」の問題の本質をつかんでいない

 (いわゆる抵抗勢力と目されている人達を含め)誰も郵政民営化には反対していない。問題は、いかに適切な形を取るのかということなのである。当然のことながらこれにはある程度の時間を掛けて、真摯な議論や討論が必要なのである。その粋(すい)を集めてより良いものを創るのが民主主義の原則なのである。

 逆に言えば、間違っても人気取りのためのパフォーマンスに利用したり、政争の具に供してはならないのである。而(しか)るに小泉前首相は、「改革なくして成長なし」「自民党をぶっ壊す」などの詐欺師まがいのキャッチフレーズを声高に叫んで国民の耳目を幻惑し、問答無用の独裁者的な暴走政治を展開したのである。

 これを民主主義の敵と言わずして何を言うのであろうか。今回は、まさにその化けの皮が剥がれたのである。

 構造改革など真っ赤な嘘で、実(まこと)しやかにその本質を覆い隠し、いかにも「やっています」というパフォーマンスのみを巧妙に演出したに過ぎない。そもそも原理的に、政権党たる自民党の組織内にいて本質的な構造改革などできる道理がない。

 たとえて言えば、封建支配の危機回避のために行われた江戸幕府の諸改革のごとものである。そもそも、民衆の不満に対する封建支配そのものがジレンマの極みであるのに、その幕藩体制維持を前提としての改革など所詮は小手先のものに終始せざるを得ないのが道理である。

 真に民衆のための改革を企図するのであれば、先ず幕藩体制を解体すべし、というのが道理である。彼の明治維新により幕府が倒壊した所以(ゆえん)である。その伝でゆけば、自民党を改革するには外部による政権交代しかないのである。

 このゆえに、自民党の組織内にいて「自民党をぶっ壊す」などいうこと自体がそもそもインチキであることを見抜く必要がある。小泉前首相のしたことは、単に、その立場を悪用して、自己一身の人気取りのためのパフォーマンスを繰り広げただけであり、その結果、自身の生存基盤たる自民党の集票組織を破壊したに過ぎないのである。まさに、蛸が自分の手足を食う図式である。

 その意味で、今回の歴史的大敗に示されているがごとく、真の被害者は、獅子身中の虫たる小泉前首相に思うさま振り回され、頼みの組織をガタガタにされた他ならぬ自民党自身ということになる。が、しかし、そのように詐欺師紛いの人物を選挙の顔として首相に担いだのだからこれは自業自得としか言いようが無い。

 要するに、「郵政民営化」が支持されたのではなく、国民はその小泉劇場に騙されたのである。その二代目政権たる阿部内閣がそれを国民の全権委任と曲解し、さらなる暴走政治を拡大した結果、今日の、例えば国民生活を直撃する実質的大増税などがいとも簡単に国会で可決されているのである。これを暴走と呼ばずして何を暴走というのであろうか。

 ともあれ、極めてリアリティーな政治を仮想的なパフォーマンスや、ファション的感覚、好き嫌いの趣味・嗜好の感情や感性で捉えてはならないのである。

二、「過ちを知りては必ず改めよ」の精神が肝要である。

 そのゆえに、「郵政民営化の凍結案など参院選の公約のどこにも書いてない」ことなど問題にすること自体が問題なのであり、そもそも次元が異なるものであることを理解する必要がある。

 要するに、何人であれ、誤りは誤りとして素直に認め、「過ちを知りては必ず改めよ」の精神を堅持することが肝要であり、人間社会、それなくしては進歩は望めない。まさに「過って改めざる是を過ちと言う」のである。


三、政治は弁証法的思考をもって「正・反・合」の知恵を絞ることに価値がある。

 (A氏が言うがごとく)自民党が、なし崩し的に抵抗勢力を復党させているのは、郵政民営化、是か非か、をうやむやにしているわけではない。

 そもそも、物事を白か黒か、敵か味方に分けて論ずること自体が人間の叡智に反する極めて愚劣な行為なのである。人の世は、そのような短絡的な発想で事が片付くほど単純ではないのである(但し、個人や組織の内面的対決たる決断・意思決定の場合は自ずから別である)。

 自民党が「なし崩しに抵抗勢力を復党させている」のはその愚かしさに気付いたからであり、その意味ではまさに進歩であり、非難されるべき謂われは無いのである。

四、「拙速」の意味を取り違えている

 孫子の曰う『拙速』<第二篇 作戦>の真意は、「目的を見失うことなく速やかに達成せよ」という意味である。たとえば、中国の故事にいう「蛇足」に見るがごとく、先に蛇の絵を描き終えた男が(つい油断して)余計な蛇の足など書き加えねば、本来の目的たる酒が飲めたのである。

つまりは、目的を見失わず速やかに達成すべし、とするのが『拙速』の真意なのであり、「手段は拙劣でも速くやれば良い」とする意味ではないのである。

 その意味で、A氏が言うがごとく、「民主党は(郵政民営化の凍結案という)拙速で政局を狙うのをやめ、何が自分たちに期待されているのか、もう一度、議論し直すべきだ」とあるが、これは全くの見当違いなのである。

 むしろ、郵政民営化の凍結案を提出し、これを最善の形にすべく議論の俎上に乗せることは、とりもなおさず、小泉・安部二代政権による国民無視の独裁的暴走政治にキチンと対処していることを示す本質的なアッピールとなるのである。むしろ、この根本的問題を放置すれば、民主党がその資質を国民に問われるは必定である。

 そのゆえに、政権交代を狙う民主党にすれば、郵政民営化の凍結案提出は、孫子の曰う真の意味での『拙速』にいささかも違わないのてあり、目的達成のためには極めて有効適切な手段なのである。

posted by 孫子塾塾長 at 13:34| Comment(4) | TrackBack(0) | 時事評論
この記事へのコメント
はじめまして。 少し気になったので書かせてもらいます。小泉劇場という言葉はマスコミが作り勝手にストーリーを描き然もそのような幻想があるように報道しただけであって、実際、小泉内閣は資本主義国家の首相として当たり前のことをやっただけだと思います。彼のパフォーマンスは今の日本の国民レベルに合わせての戦略であって国民レベルが変われば方法も変わったことでしょう。
「兵は拙速を尊ぶ」短い期間で成し遂げようとすれば少々乱雑な方法しか今の政治では行えないかと思います。また妬みと嫉妬が蔓延る伏魔殿のような政界でやり抜くには「兵は詭道なり」騙しあいも必要でしょう。国民として見るのではなく自身が政治家だとしてどのように国を改革し纏めるのが必要なのかを考えると小泉前首相は近年稀に見る政治家だと思います。
Posted by ラストサムライ at 2007年12月30日 00:32
 ラストサムライさま、書き込み有難うございます。誠に傾聴すべき御意見ではありますが、以下の諸点において再考察される必要があろうかと考えます。

(1)政治問題は芸能やスポーツネタと同列に扱うべきものではない

 政治の問題は国民の実生活に直結する問題ですから、朝青龍がどうしたとか藤原紀香が結婚したとかのスポーツや娯楽・芸能ネタと同列に扱うべきものではありません。

 もとより難きを避け、易きに付き勝ちなのが人間の性ゆえに、我、人ともに興味本位の三面記事的な話題を好むものであります。が、しかし、だからといって巧妙にその性質を利用し面白おかしく政治を劇場化し、かつそれを自己一身の政治的パフォーマンスの道具として使うことは、いやしくも国民の選良たる政治家のやるべきことではありません。まさに言語道断、噴飯ものの所業であります。

 つまり、言われているような『彼のパフォーマンスは今の日本の国民レベルに合わせての戦略であった』ということそのものが実に国民を愚弄した不真面目な行為だと言うことなのです。

 もとより、その本質を見抜けずにその戦略に乗ってしまった国民に非があることは言うまでもありません。だからこそ余計に許せないということなのです。


(2)いわゆる小泉劇場は、マスコミが作り勝手にストーリーを描いた幻想か

 一般的に言えば、テレビの持つ宣伝広告的影響力は甚大であります。小泉元首相がそのことを十分に弁(わきま)え、大向こう受けする政治的パフォーマンスを演出したことは論ずるまでもありません。

 論より証拠、平成17年9月の総選挙では実に八十有余名のいわゆる小泉チルドレンが誕生しております。一時は、時代の寵児と持て囃されチヤホヤされた彼らでありますが、現在、その立場や境遇がどうなっているかはまさに「やはり」あるいは「予想通り」と言わざるを得ません。要するに破廉恥にも体の良い「使い捨て」として利用したに過ぎないということです。とても『近年稀に見る政治家』のやることとは思えません。


(3)資本主義国家とは何か

 一般的に言えば、前後の日本は完全な資本主義国家ではありません。「お金さえ儲かれば良い」とする資本主義の欠陥を社会主義的な政策を加味して国民総中流意識に代表されるがごとく、大都市も地方もともにレベルアップしつつ発展してきた国家であります。つまり小泉元首相以前は、いわゆる弱者切捨て、格差社会という発想はなかったのです。

 結局、小泉元首相のやったことは大企業が「お金さえ儲かれば良い」であり、改革の虚しい掛け声ばかりで、亡国の元凶たる官僚組織は放置し、弱い者イジメ的に手を付け易い社会的弱者を狙い撃ちして情け容赦なくむしり取るという非道な政治でありました。

 その意味では確かに言われるように『小泉内閣は資本主義国家の首相として当たり前のことをやっただけ』ということにはなります。しかし、だからと言って彼が『近年稀に見る政治家』という根拠にはなりません。国民生活の進歩発展という観点から言えば、むしろその逆と判定せざるを得ません。少数の資本家のみを富ませ、後は野となれ、山となれ式では政治家としての資質そのものが疑われるというものです。


(4)拙速とは何か

 拙速とは、言われているような『「兵は拙速を尊ぶ」短い期間で成し遂げようとすれば少々乱雑な方法しか今の政治では行えないかと思います』のごとき意味ではありません。そもそも『兵は拙速を尊ぶ』などという言葉自体が孫子にはありません。

 思うに、誰か訳の分からない人の解説する「拙速」の意味を鵜呑みにして、ただ、オウム返しに言われていることと推察されます。孫子の勉強の基本は、自分の頭で考えることであり、他人に言葉によって思考停止することではありません。

 論より証拠、例えば、彼の赤穂浪士が言われているような「兵は拙速を尊ぶ」やり方で討ち入りを決行すれば結果はどうなるか考えるまでも無いことでしょう。その根底には、用意周到にして緻密な計画と準備があることは論ずるまでもありません。

 否むしろ、短い期間で成し遂げようとするからこそ、用意周到にして緻密な計画と準備は不可欠な要素として最重要視しなければならないのです。拙速は、『短い期間で成し遂げようとすれば少々乱雑な方法しか今の政治では行えないかと思います』などとは凡そ次元の異なる問題であると考えます。


(5)詭道とは何か

 確かに小泉元首相の手法は詭道と言えなくもありません。問題はその詭道を駆使して何をしたかということです。

 「自民党をぶっ壊す」と言っても壊したのいわゆる旧田中派だけであり、出身派閥の森派においては過去最大規模になっているのが実態です。また、壊したのはとりわけ地方自民党のいわゆる集票マシーンであり、これによって後継者たる阿部内閣は先の参議院選挙で惨敗を喫したわけであります。その後遺症は未だ治癒せず、まさに自民党は次回衆院選挙には危急存亡の瀬戸際に立たされているのです。

 もとより小泉元首相は、自民党の改革のために「自民党をぶっ壊す」と大言壮語したわけですが、その結果が果たして自民党の改革に繋がっているのか甚だ疑問であり、それよりも何よりも、小泉劇場を通じての見境のない詭道振りが国民に与えた有形無形の悪影響は測り知れないものがあります。

 つまり彼は、どの角度からみても『近年稀に見る政治家』とはとても言い難いのでありますが、仮に次回衆院選教で民主党の政権交代が実現すれば、反面教師という意味で彼は『近年稀に見る政治家』と称されるかも知れません。
Posted by 管理人 at 2008年01月05日 12:36
お返事ありがとうございます。只、私が思うに孫子の兵法はとても危険でもあります。それはそれをどのように解釈するかによって意味合いが変わってくるからだと思います。小泉前首相は、勝ち組と負け組みはいいが、待ち組みはダメだといいました。負け組みはチャレンジして負けた。しかし何もせず待ってるだけの人に対してはそれなりの社会的責任が圧し掛かってくると。
政治家とは、国内のみならず世界的な規模で政治をやっていかなくてはならない。世界の中の日本の位置付けはどうなのか過去の歴史はどうなのかどのような力関係があるのかを考え日本の立場を良くするように働きかけなけらばならない。彼は過去の日本の良さも理解し敗戦によって悪い部分と一緒に葬りさられた日本的道徳的徳目の作法を理解しまた、それを今の世界的力関係の中でどのように復活するか西洋的合理主義はどのように利用できるかなどを考えての行動だったかと思います。単なる客寄せパンダみたいな政治家だと批判されるのは、表面的な見方だと思います。彼は国民に問うといって解散選挙を行った。危険な北朝鮮にも行った。郵政民営化も実現させた。彼なりの信念があったからできた行動だと思っています。普通の政治家なら先ず解散選挙なんてやらないと思います。「知ることは行う事の始めであり、行う事は知る事の完成である」と王陽明が語ってますが、正に彼は実行したと思っています。
Posted by ラストサムライ at 2008年01月08日 23:12
 文字数の関係から、このコメントに対する回答は「6 ラストサムライさまのコメントにお答えして」の記事としてアップ致しました。
Posted by 管理人 at 2008年01月26日 17:33
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