2008年02月04日

8 ラストサムライさまへの返信(その二)

 当ブログの「7 ラストサムライさまへの返信」の記事について、1月31日、ラストサムライさまから四回目のコメントを頂きました。内容は下記の通りです。

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 私は、好き嫌いで物事を言ってるわけではなく大局を見据えて政治を行うことができるかそうでないかで語っているんです。

 「敵を知り己を知れば百戦危うからず」 アメリカ特に西洋人はどんな民族なのかご存知ですか? 日本の常識は通用しません。オーストラリアの捕鯨船に対しての行為はご存知ですか? これは一例ですけど独裁的パワーポリティックスなんですよ。

 日本人は責任と権限を曖昧にし問題が起きても責任逃れできるようなシステムを作り上げます。そういう悪しき積み上げによって疲弊した政治を改革しようとした彼は評価するべきであると言ってるだけです。

 宗教が違っても国家の為に戦った人達を弔うことは何か問題でもあるのですか?

 孫子は戦争は絶対にしてはならないが、戦争するなら絶対に勝たなければならないと言ってますが、日本はアメリカと戦争をして負けた。それが今日まで国際的不利を強いられ依存型経済大国に成り下がった訳です。

 自国を自立した強い国家として築く為には、アメリカと協力しながら国内の過保護政策からの脱却また国内需要の拡大を計らなくてはならない。規制緩和をどんどんやり、お金の流れと雇用の流出によって適材適所が生まれ長い年月を経てて自立した国造りを行うことを目的としていたのではないでしょうか?
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 これについての管理人のコメントは次の通りです。

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 ことの初めからそうでしたが、どうもラストサムライさまの御意見は支離滅裂としか言いようがありません。

 もとより、御自身の職業における専門的能力という意味では非の打ちどころのない立派な見識と御意見をお持ちなのでしょう。が、しかし、(例えば当ブログでのやり取りのごとく)ことが専門的範疇を離れると御自身でも何を言っているのかさっぱり分っておられないものと拝察いたしました。

 その意味での確固たる理念や思想もなく、ことの本質を掘り下げる根気や脳力もないのに、いかにも分ったような物言いをされているから滑稽なのです。が、しかし、多分それは御自身でもお気付きなのでしょう。

 そのゆえに、それを誤魔化そうとして、(私に見るところ、実に一知半解のままに)権威たる孫子や王陽明の言を呪文のように振りかざし、「どうだ、恐れ入ったか」のごとき態度が実に幼児的なのです。呪文は単なる言葉の羅列に過ぎず、意味も力もないことを知るべきであります。

 もとより、個人としてのラストサムライさまがどのような御意見であろうとそれは貴方の自由です。が、しかし、確固たる理念や思想もなく、ことの本質を掘り下げる根気や脳力もない思考態度が、社会全般の風潮として主流となり大勢となればこの日本はどうなるのかということが問題なのです。

 その典型例が、いわゆる衆愚政治たる小泉劇場であると言うのであります。その一翼を担っているのがまさにラストサムライさまに代表されるがごときの御意見であると私は観じております。敢て、貴方の御意見を当ブログで論ずる所以(ゆえん)です。


1、小泉元首相はなぜ(小泉チルドレンを帥いて)道路特定財源の一般財源化に動かないのか。

 私はすでにラストサムライさまに対し、衆愚政治たる小泉劇場の下で行われた構造改革・規制緩和とは何であったのか、その結果、何がもたらされたのかなどについて複数の疑問・質問を投げかけ、何回も当ブログに提示して、その回答を求めてきました。

 而(しか)るに、未だもって明確な御回答をラストサムライさまから頂いておりません。書けないのか、はたまた書けない理由があるのでしょうか。たまにまともなことが書いてあるかと思えば「風呂の中で屁をひるような」意味不明瞭な内容ばかりであります。私が、ラストサムライさまは好き嫌いのレベルで小泉元首相を選んでいると論じている所以(ゆえん)であります。

 それならそうと初めから素直に言えば良いのです。「あ、そう。その程度の考え方なのね」で終わりなのです。而るにそのことを「偽装」して、いかにも物の分ったような物言いをされるので当方としては嫌味の一つも言いたくなるのです。


 そこで念のため、再三再四の質問をさせて頂きます。

 小泉元首相は、「地方にできることは地方に」という謳い文句の下、いわゆる三位一体の改革と称して国から地方への税源移譲による地方の分権化を構造改革の目玉の一つとしてきました。

 小泉元首相の真にインチキなところは、それを実現するための根本的問題たるいわゆる官僚支配の利権構造には全くメスを入れずに(意図的に避け放棄したまま)、ただ、大衆受けするスローガンを掲げ、もっともらしいパフォーマンス展開したことにあります。

 つまり彼の構造改革なるものはまさに「仏造って魂入れず」であり、その結末がどうであったかは論ずるも愚かなことであります。できなければ言わなければいいものを、いかにもできそうに「偽装」するから問題があるというのです。
 しかも、ただひたすら、己一個の保身や名誉、栄達のためとあっては何をか況(いわ)んやであります。その意味ではまさに国賊的政治家と言わざるを得ません。


 その証左として、彼はなぜ、八十有余名のいわゆる小泉チルドレンを帥いて、今、国会を賑わしている道路特定財源の一般財源化に立ち上がらないのでしょうか。地方分権の推進という意味においては、誰が見ても一般財源化の方に道理があります。

 そのゆえに、ガソリンの値下げに賛成するかしないかはともかくとしても、(地方への税源移譲という彼の信念から言えば)最低、道路特定財源の一般財源化に決起するのが道理であり、かつ、今がその好機ではありませんか。

 しかし、この点に関しては未だもってウンでもスンでもありません。これは何を物語っているとお考えですか。

 この点について是非、ラストサムライさまの御意見を御聞かせ下さい。

 まず、足元のこんな自明のことすら実行できないようでは、とてもラストサムライさまの言われる『自国を自立した強い国家として築く為には、アメリカと協力しながら国内の過保護政策からの脱却また国内需要の拡大を計らなくてはならない。規制緩和をどんどんやり、お金の流れと雇用の流出によって適材適所が生まれ長い年月を経てて自立した国造りを行うことを目的としていた』ごとき偉大な政治家とは評価できないということです。つまり、そんなことはラストサムライさまの頭のなかだけにある幻想であります。

 その意味で、彼の田中康夫参院議員の言う「なんちゃって小泉竹中、へなちょこ改革」の指摘はまさに言い得て妙、であります。


2、ラストサムライさまは「大局を見据える」という意味が分かっておられません。

 大局を判断する前に、まず日本の立場を考えることが重要です。四方を海に囲まれ天然資源の乏しい日本は、四方八方の国々から資源を輸入し、加工し、輸出してその剰余価値で国民が食べてゆくのが基本です。言い換えれば、世界のいずれの国々とも仲良くして、戦争をしてはいけないのが日本の立場なのです。

 而るに、ラストサムライさまは「アメリカにべったりで、アメリカとのみ友好関係を維持しておけば万事こと足れり」とする小泉元首相が大局を見据えた偉大な政治家であると言う。しかし、上記のごとき日本の立場、それに基づいての大局を考えるという立場からすれば、これは明らかに大局の意味を取り違えております。

 但し、旧小泉政権が、ただ、自己政権の延命を図るための判断という意味での大局ということでは正解です。
 しかし、真の意味での日本の国益には明らかに反するということです。

 もとよりいわゆるパートナーシップは大事です。しかし、真の意味でのパートナーシップとは、ことの理非曲直を明らかにし、その是々非々を明確に相手に伝えるということです。それがなければ、アメリカという旦那にただ盲従するだけの「お妾さん」に過ぎません。何をもってこれが「大局を見据える」と言えるのか、まさに笑止千万と断ぜざるを得ません。


3、ラストサムライさまは「彼を知り己を知れば」の御理解が一知半解です。

 ラストサムライさまは、『アメリカ特に西洋人はどんな民族なのかご存知ですか? 日本の常識は通用しません。オーストラリアの捕鯨船に対しての行為はご存知ですか? これは一例ですけど独裁的パワーポリティックスなんですよ』と言われておりますが、私は既に「7 ラストサムライさまへの返信」のコメントにおいて捕鯨船云々、即ち「その主張が間違いであっても絶対に正しいと自己主張するのが彼らの特長である」と具体的に論じております。

 考えてみても下さい。捕鯨が動物愛護の精神に反するというのなら、彼らが毎日、屠殺・狩猟して食糧としている諸々の家畜や動物は可哀想ではないのか、と言うことです。要するに、誰が考えても理屈にもならない理屈を絶対に正しいと自己主張するのが彼らの論理であり、やり方なのです。その意味ではまさに小泉元首相も同類と言えます。

 問題なのは、私が既にそのことを指摘しているのにそれを読んでおられない、もしくは認識されていないということです。孫子の曰う『彼を知り己を知れば』<第三篇 謀攻>は、単に言葉を弄(もてあそ)ぶことではなく実践躬行が本旨なのです。

 捕鯨調査船へのオーストラリアの関与云々を言われる前に、まず足下である私の発言について「彼を知らず」であり、そのゆえに「己を知らざる」者と言わざるを得ません。


 さらに言えば、ラストサムライさまは『オーストラリアの捕鯨船に対しての行為はご存知ですか? これは一例ですけど独裁的パワーポリティックスなんですよ』と言われております。言い換えれば、このような独裁的パワーポリティックスに対してまともに対抗できるのは偉大な政治家たる小泉元首相ただ一人であるとでも言いた気であります。

 しかし、ラストサムライさまの見方は全く一面的・部分的な見方です。そもそもパワーポリティックスなるものは、オーストラリアの場合に限らず、全世界どこでも見られる普遍的な事象です。早い話が、無実の人間を簡単に罪に陥れる国家権力の恐ろしさを如実に天下に示した鹿児島の志布志事件や富山の冤罪事件はまさに、パワーポリティックス以外の何者でもありません。つまりは独断と偏見による実力行使ということです。

 その意味で、そもそも戦いという事象は全てパワーポリティックスなのです。それなのになぜことさら『これは一例ですけど独裁的パワーポリティックスなんですよ』などと強調される必要があるのかわけが分りません。

 孫子はそのことを『勢とは利によりて権を制するなり』<第一篇 計>、あるいは『権を懸けて動く』<第七篇 軍争>と論じております。吾人が孫子を学ぶ所以(ゆえん)です。
 ラストサムライさまは孫子に造詣が深い御様子ですが、一体、孫子の何を学ばれているのでしょうか。極めて疑わしい限りであります。

 そのような見識しかないラストサムライさまが、独裁的パワーポリティックスたる欧米とまともに渡り合えるのは偉大な政治家たる小泉元首相しかいない、と判断されても余りにも説得力がありません。

 彼の武田信玄の曰うがごとく、単に「がさつな人間」を武勇の人と見間違えているのではありませんか。パフォーマンスだけの偽装政治家たる彼にできるのはせいぜい、スピッツの遠吠えくらいではないでしょうか。


 また、ラストサムライさまは、『日本人は責任と権限を曖昧にし問題が起きても責任逃れできるようなシステムを作り上げます。そういう悪しき積み上げによって疲弊した政治を改革しようとした彼は評価するべきであると言ってるだけです』と小泉元首相を評価されておりますが、まさにその諸悪の根源たる官僚政治の改革を意図的に放棄しての政治改革に、一体、何ほどの価値があるというのでしょうか。

 彼はただ、改革をやっている振りをして、美味しいとこだけを散々喰い散らかし、挙句の果てに(いざ代金を支払う段になると)責任も取らずに食い逃げしたというのが実態ではないでしょうか。まさに「一将、功成りて万骨枯る」であります。しかし、これは国民の生命・財産を守るのが政治という観点からいえば絶対に許されない行為なのです。このような政治家のどこが偉大なのか私は理解に苦しみます。


4、諸方の利害を円満に調整し、落としどころに落とすのが政治である。

 ラストサムライさまは『宗教が違っても国家の為に戦った人達を弔うことは何か問題でもあるのですか?』と言われておりますが、もとよりそれは個人の自由であります。

 問題なのは、いやしくも一国の首相たる者は、諸方の利害を調整し、キチンと落としどころに落とすのがその役割であると申し上げているのです。それが政治家たる者の責任であり任務であると申し上げているのです。

 然るに、小泉元首相は全くその任務を果たさず、逆に、中国や韓国などとの国際的外交関係を悪化させ、国内的には為にする(ある目的を達しようとする下心があっての意)不毛の物議を惹起させ、それを自己の保身のために利用したのであります。

 そんなに戦没者の供養がしたければ、諸方の利害を調節するという意味で最もベターないわゆる「無名戦士の碑」建立に動くか、はたまた、(一国の首相としてではなく)戦没者を悼む一個人として参拝すれば良いのです。然るに、彼はそのいずれの方法も取らなかった、まさに国賊的な売名行為と言わざるを得ないのであります。


 ともあれ、『進みては名を求めず、退きては罪を避けず、ただ民を是れ保ちて、而も利の主に合うは、国の宝なり。』<第十篇 地形>が孫子の曰うリーダーの条件であることを我々選挙民は銘記すべきなのです。

 この資質と心構え・覚悟の無い人は、なまじリーダーなどになるな、世間の人が迷惑するということなのです。
posted by 孫子塾塾長 at 13:17| Comment(4) | TrackBack(0) | 時事評論
この記事へのコメント
「功を遂げ身を引くのは天の道なり」というのは、長い時間が経って初めて分かるものであり、直ぐ結果を求める物ではないかと思います。「日にこれを計りて足らず、歳にこれを計りて余りあり。」小泉前首相を嫌ってるみたいですが、彼は今まで包み隠された政界をオープンにし国民に見せることによって変革を起こそうとしました。それによって政界で当たり前として通ってきたことに疑問をぶつける人達も増えたのも事実です。

靖国参拝については日本国首相として参拝することに意味があり、戦没者を悼む一個人なら意味がありません。戦争というのはどちらの国にも正義があり日本は許し難い恥なる行為を行ったが、西洋覇道の犬とならず、東洋王道の牙城を築く大東亜戦争を行うことによりアジアの西洋からの植民地支配を崩壊させるきっかけを作ったのも事実です。

彼の功績に付いて書くことは無駄な反論があるかと思いますが、過保護政策による不良債権処理や北朝鮮に拉致を認めさせたこと、郵政民営化、官僚による無駄な税金遣いの抑制。道路族にはメスを入れることは出来なかったが、今までの総理が手を付けなかったことをリスクを省みず行ったことだと思います。

様々な批判、中傷などは彼が総理になる前からの原因もあります。物事をある一定の時間で区切って批判するのは余りにも短略かと思います。「大空を天翔る大鵬の如く」「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」恐らく、前総理は心の中でそう思いながら苦闘されてたんでしょうね。
Posted by ラストサムライ at 2008年02月09日 19:13
いつもブログを興味深く読ませていただいております。 今回捕鯨についてのコメントがありましたので、私もコメントさせていただこうと思います。 私の周りには西洋の方がたくさんいて、それはそれはいろいろな方がいます。 日本の常識が通用する方もいれば、通用しない方もいます。 友人になれる人もいれば、なれない人もいます。ただ、今回、捕鯨に対するオーストラリアのあまりに偽善的な態度には、全くあきれています。

先生のおっしゃる通り、オーストラリアの方々は自分たちが常日頃殺された動物たちを口にしていることは、どう思っているのか、ぜひ彼らにきいてみたいところです。 クジラは頭がいいから殺してはならない、という人もいますが、なら、頭が悪い生き物はころしてもいいのか、というとても恐ろしい思想につながると思います。

私が一番頭に来るのは、「偽善」です。 肉を食べる人は、動物(牛など)を殺す、という行為は他人にやらせて(他人の手を汚し)、いかにも自分たちは無実、というように、高みにたって日本人をバッシングしているようにみえるのです。

捕鯨する日本人も、研究目的と言っていますが、「何のための研究で捕鯨をするのか」ということをしっかり説明していただきたいと思います。

ずいぶん話がずれてしまいました。 失礼いたしました。
Posted by いくの at 2008年02月13日 22:04
私は以前イギリスにいましたが、西洋的発想は余りにも単純で自己啓示的な感じがしました。それは世界を支配したのは西洋人であるかのようです。ですからグローバルスタンダードは西洋人が作って他の国々はそれに従いなさいと見てとれます。
結局の所、西洋と東洋はぶつかる運命だったかと思います。その切欠を作ったのが日本であり大東亜戦争だったのです。只、日本は余りにも多くの敵と戦いそして多くの犠牲者を出し戦いに敗れました。その結果、不条理な条約を結ばされその被害を直接的にも間接的に受け今に至っています。そんな中で本当の日本とは何か自問した結果、日本古来の良さや西洋的合理主義の効率の良さなどを学ぶことにより新しい日本像ができあがるのではないでしょうか?
アメリカのマッカーサー元帥は、日本人の大人の精神年齢は14歳くらいだ、だから精神年齢が大人になって世界一の技術力を誇る日本がアメリカに対抗してきたら恐ろしいことになる。と言って映画や野球などの娯楽を推し進めて反米感情が生まれないようにしたと言われています。それが見事に嵌り直ぐに芸能人やスポーツ選手に例え真実の根底を見ることができない大人が増えたのでしょう。とても悲しいことです。
Posted by ラストサムライ at 2008年02月16日 20:57
 文字数の関係から、生野さまへのコメントは「生野さまのコメントにお答えして」の記事としてアップ致しました。
Posted by 管理人 at 2008年02月22日 13:13
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