2009年05月06日

23 形が似ているからと言ってミソとクソは別だし、月とスッポンは異なる

 余りお待たせするとオリシトヨクさまのイライラ感も益々強まり、精神衛生上も宜しくありませんのでこの辺でお答えしたく思います。ただし、私の質問にはキチンとお答え下さるようお願い申し上げます。

 まず、その説明に先立ち次ぎの二点を明確にしておきたいと思います。

一、石臼こと、いわゆる碾(ひ)き臼について

 碾(ひ)き臼は、穀物などを粉砕し製粉する道具です。その昔は殆どの家庭にありましたが、時の流れとともに姿を消し、今では、時折、気の利いたお蕎麦屋さんで見かける程度です。念のために言えば、平らな円柱形の上下二個の石臼からなり、上臼にある孔(突き抜けた穴の意)から穀物などを落とし、上臼を取っ手によって回転し製粉するものです。

 臼は、古来、「大きいもの」や「重いもの」の譬えとして良く用いられております。因みに、取っ手が付いている上臼の重さは、標準的なものでも、優に20キロを超えるものがざらにあります。

 碾(ひ)き臼の取っ手説の真偽を追究する場合、まず、問題となるのはその上臼の重さです。何となれば、その上臼の取っ手を掴んで、通常のトンファーのごとく軽快かつ自由自在に振り回せるものでなければ(単に取っ手の形が似ているというだけでは)論理的に今日見られるトンファーの技法には結び付かないからです。

 同じく、後述する「取っ手という技術的思想」との関係で、碾(ひ)き臼の取っ手なるものは、そもそも、いつ頃から始まったのか、ということも重要な問題となります。

 因みに、中国で小麦の粉食が始められたのは漢代(前202〜220)と考えられています。それまでの製粉は「すり鉢」形のものが使われていたようです。小麦は西アジア原産で、中国へは回転式の石臼とともにシルクロード経由でもたらされたと言われております。つまり、漢代以前には碾(ひ)き臼の取っ手なるものは存在しなかったということです。

二、取っ手という「技術的思想」について

 取っ手とは、家具・とびら・なべ・やかん・茶碗などの器物につけて手に持つ部分(つまみ・柄)、また手で動かす部分のことです。元の用字は把手(はしゅ)です。

 つまり、フライパンの柄・なべのフタ・ドアのノブ・箒や塵取りの柄・コーヒーカップのつまみ、鍬や鉞の柄、槍や刀の柄、楯の握り部分などは全て取っ手、もしくは把手(はしゅ)と称されます。

 そのことを踏まえて、次のことをオリシトヨクさまの明敏な頭でお考えください。

 フライパンに柄が無ければフライパンはどう使いますか。煮えたぎる鍋のフタにつまみが無ければどうして鍋のフタを上げるのでしょうか。刀や槍に柄がなければ刀や槍はどうのように使うのでしょうか。箒や塵取りに柄が無ければ不便でしょうがないでしょう。コーヒーカップの場合、例えば通常の湯のみ茶碗のごとく必ずしも取っ手は不要ですが、有った方が便利でしょう。

 ドアにノブが無ければドアはどうやって開けるのでしょう。鍬や鋤に柄がなければどうやって田畑を耕すのでしょう。楯に取っ手が無くてもその上下を両手で押さえれば取り合えず攻撃は防げるでしょうが、いわゆる両手塞がりの状態となるため肝心の片方の手が活かせず、武器としての利便性に欠けます。

 ともあれ、器物に取っ手(把手)を付けると、その器物が実に使い勝手が良くなり機能的であるということは、無形の技術的思想として古来、連綿と受け継がれてきた人間の叡智なのです。

 要するに、個別特殊的な表現である碾(ひ)き臼の取っ手があろうが無かろうが、その背景には、そもそも「取っ手」という普遍的な無形の技術的思想が人間の知恵として存在しているということなのです。

 この無形の技術的思想が、その器物の用途や目的に合わせて、様々な個別特殊的な形状として表現されるのです。逆に言えば、刀や槍の柄にコーヒーカップのつまみを付けても意味が無いということです。用途や目的が異なるからです。

 同じように、トンファーは武器であり、碾(ひ)き臼は生活道具です。自ずからその用途や目的は異なります。そのゆえに、碾(ひ)き臼の取っ手をヒントにトンファーの取っ手が考え出されたのではなく、そもそも「取っ手」という無形の技術的思想が存在するゆえに、武器、もしくは生活用具という各々の用途・目的に合わせて各々の「取っ手」が成立した解すべきなのです。

 結果として、たまたまその形が似通っているということをもって、貴方は、トンファー術は碾(ひ)き臼の取っ手から編み出されたものと言われる。が、しかし、前記したごとく、その上臼の取っ手を掴んで、通常のトンファーのごとく軽快かつ自由自在に振り回せるものでなければ(単に取っ手の形が似ているというだけでは)論理的に今日見られるようなトンファーの技法には結び付かないのです。

 第一、後述するタイ式トンファーの取っ手の使い方は、そもそも、貴方の言われているような碾(ひ)き臼の取っ手を回すというイメージそのものに合致しません。それはなぜか、それを考えることが人間の知性です。俗説を盲信することと、人間の知性とは凡そ似て非なるなのです。

 そのゆえに私は声を大にして言うのです。『確かにミソとクソはその形が似ている。しかし誰が考えてミソとクソが別物であることは明白である』と。

 貴方が「否」と言うのであれば、私は真顔で問い質(ただ)したい。ならば「ミソはクソから編み出されたものか」と。

 試しに小学生に質問してください。「ミソとクソは一緒か」と。たちどころに返答が来るでしょう。「いや違います。なぜならミソは食べられますがクソは食べらませんから」と。同じように、「形が丸い」という意味では、確かに月とスッポンは似ております。しかし、誰が考えても別ものです。

 そのゆえに、オリシトヨクさまの言われていることは、例えば、『彼の宝蔵院流槍術はお寺の大広間を掃く長い座敷箒(ざしきぼうき)の柄から生まれた。なぜならば柄の形が似ているからである』のごとく、実に幼稚なレベルのものであることをご理解ください。

 なぜ柄の形が似ているだけで高度な槍の技法と座敷箒(ざしきぼうき)の柄が結びつくのか、凡人の頭では全く理解できません。

 百歩譲って、碾(ひ)き臼の取っ手のデザインがとても気に入ったとして、トンファーの旧来の柄と交換し、後にそれがトンファーの取っ手の形として定着したとしましょう。

 しかし、だからと言って『トンファーの起源は碾(ひ)き臼の取っ手にあり』と喧伝すれば通常の知性のある人は笑うでしょう。なぜならば、それはトンファーの取っ手のデザインに関する問題であり、トンファーの本質的構造や機能、技法に関わる問題では無いからです。


 凡そ、事物の変化においていわゆる突然変異は有り得ません。人間の感覚で認識できるか否かはともあれ、みな然るべき理由があって変化するのです。

 トンファーという武器の形状、及びそれを踏まえて成立している高度な技術的体系は、単に碾(ひ)き臼の取っ手を見たからと言って、あたかも魔法のごとくに出現するものではありせん。まさに手品の演出のごとくに、そこにはそうなるだけの合理的かつ具体的な理由が存在するのです。

 その最も肝心のプロセスが見事に欠落している貴方の「石臼の取っ手説」は、まさに妄想的なお伽(とぎ)話のレベルであると断ぜざるを得ません。

 それとも、オリシトヨクさまは、取っ手(把手)という技術的思想の起源は、全て碾(ひ)き臼の取っ手に発するとでも言われるのでしょうか。

 然りとすれば貴方の俗説は必ずしも誤っているとは言えないでしょう。(トンファーの技法の成立に関してはともあれ)少なくとも、トンファーの取っ手の部分に関しては正しいと言えます。

 然しながら、既に見たごとく碾(ひ)き臼の歴史は漢代以降であります。しかし、取っ手という無形の技術的思想は既に石器時代の槍の柄、土器の取っ手、青銅器のつまみ等の例をを引くまでもなく無数に表現されております。

 無形たる技術的思想が、各々の用途・目的、機能に合わせて、その個別特殊的な表現として、例えばトンファーの取っ手となり、例えば碾(ひ)き臼の取っ手となっているというだけのことです。

 貴方の言われるがごとく、碾(ひ)き臼の取っ手をヒントに、トンファーの取っ手が成立した分けでも無く、益してや、トンファーの高度な技術的体系が魔法のごとく碾(ひ)き臼の取っ手から生まれた分けでは無いのです。


 それが証拠に、トンファーの場合は、回転の中心軸は柄であり、柄を中心に棒身が回転するのです。逆に、碾(ひ)き臼の場合は、回転の中心軸は円形たる上臼の中心であり、取っ手はその上臼の外周上を回るものです。

 もし、トンファーの取っ手の機能が、碾(ひ)き臼のそれと同じであれば、そもそも武器としての役割は果たせず、逆に、碾(ひ)き臼の取っ手の機能がトンファーのそれと同じであれば、そもそも製粉という役割は果たせません。考えるだけでSFの世界であります。

 この一事を見ても両者の成立は自ずから無関係と言わざるを得ません。もし関係があるとすれば、単に形が似ているという、ただそれだけのことです。確かに人間とチンパンジーはその外形は相似ております。だからと言って、人間とチンパンジーは同じとは言わないでしょう。通常の頭の人は。

 要するに、オリシトヨクさまはイメージで物事をつかんだり、アバウトに把握する粗雑な頭の持ち主であり、物事を正確に判断する器量に欠ける傾向にあるということです。何となくアバウトに「一を聞いて十を知った積りになる」粗忽なタイプとお見受け致します。

 貴方が、トンファーの型もやられたことがない、従ってまた、トンファーの振り方や基本もご存じ無い、にもかかわらずトンファーについて知ったか振りをする、という事実がその何よりの証拠であります。因みに、孫子はそのようなことを『彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし』<第三篇 謀攻>と曰うのです。


※ そこで、オリシトヨクさまに質問をさせて頂きます。しっかりと答えて下さい。

 貴方は、取っ手という無形の技術的思想の起源が全て碾(ひ)き臼の取っ手にあると考えているのでしょうか。然(しか)りとすればその根拠をお示しください。否とすれば、トンファーの取っ手の成立と、碾(ひ)き臼の取っ手との相関関係云々は、実に荒唐無稽、妄想的かつ幼稚な思い付きであること自省して下さい。


三、空手の上段受けの形と、その前腕をガードすることの実戦的な意味

 実に、面妖で不思議なことですが、いわゆるスポーツ空手をやられている方の多くは、なぜ空手の上段受けがあのような形をしているのかをご存知ない場合が多い。

 それどころか、「なぜあのような意味の無い受けがあるのか良く分らない、なぜならば試合には殆ど使われないからだ」と言う。『であるならばやらなければ良いのに』と助言すると、「いや、基本や型にあるから仕方なくやるのだ」とおっしゃる。

 要は、空手に関し真剣に「なぜ」と考えたことも無ければ、仮に疑問を抱いても、「適切に教えてくれる人がいない」、つまりはアバウトの一語に尽きるのです。本来、日本人は、もっと緻密な思考をする民族のはずなのですが。

 そのような方にトンファーを逆手持ちして貰い、そのまま空手の上段受けの形を取って頂くと、一目瞭然ゆえに、たちどころに空手の上段受けの由来を察知されます。

 つまり、トンファー術の上段受けの形からトンファーを外したものが空手の上段受けと言う分けです(ことの事情は釵の場合も同じ)。

 空手は徒手で行うものゆえに、トンファーを外した形がそのまま空手の上段受けとなるわけであります。その意味では、まさにコロンブスの卵ですが、人は言われるまでは気付かないものなのです。

 つまりは、空手の上段受けも武器術たるトンファーの上段受けもその武術的思想は全く同じということです。単にスポーツ空手の視点のみをもって空手の本質を理解しようとしても自ずから限界が生ずる所以(ゆえん)であります。まさに『木に縁(よ)りて魚(うお)を求む」に相似ております。


 ではなぜ、トンファー術にそのような上段受けがあるのか、ということです。


 確かに、空手の上段受けは、スポーツ空手という観点からすれば、さして重要な技法ではないと言えます。なぜならば、スポーツ空手では、相手は間違っても六尺棒や金属バットで突然、頭を目掛けて殴りかかるということは有り得ないからです。

 しかし、こと武術という観点からすれば、そのようなことは当然に想定の範囲内のことであり、自ずからそれへの対処法を編み出さねばならないのです。実はこのことは、トンファーの由来を考察する上で重要なヒントをもたらします。

 因みに、空手の上段受けの技法は、中国・少林拳にも見られるもので、実戦武術という意味合いにおいては、非常に有効な方法と考えます。

 その観点から、改めてトンファーの長さを観察すれば、上段受けの前腕を完全にカバーするに足る長さであることが一見して分ります。逆に言えば、トンファーの機能の一つは上段受けの前腕を安全に守る役割があると言うことです。


 その理由については、敢て説明するまでもありせんが、念のため要点を記します。


(1)攻者が真に殺意を抱いて六尺棒や金属バットで防者に殴り掛かる場合、当然のことながら、先ず防者の頭部を狙うでしょう。これは本能的な攻撃行為と言えます。

 因みに、彼の桜田門外の変に際会した武士の回顧談として「平素、道場では抜き胴など派手な技を教わり稽古していたが、実際の斬り合いの場になると、頭が真っ白になり、ただ上段に振りかぶり、無我夢中で相手の面を打つことだけの技しか使えなかった」との述懐があります。


(2)それに対する防者は、とっさに、もしくは無意識的に、片手もしくは両手をもって上段受けの形でその頭部を守ろうとするでしょう。これは本能的な防禦行為と言えます。この場合、マンガや映画などでは六尺棒や金属バットの方が真っ二つに折れますが、現実的な通常の生身の人間は、その前腕に致命的な打撃を受けることは必定です。そのことが即、敗北に結び付く痛手であることもまた論を俟ちません。

 逆に言えば、前腕に関わるこの一撃を何らかの方法で安全に防禦できれば、防者は直ちに反撃して攻守ところを変えることができるのです。ここにトンファーの第一義的な狙いがあると私は見ております。

 要するに、武器に対するに武器をもってするのが人間の知恵であり、最も避けるべきは武器に対するに生身の肉体をもってすることであります。


(3)ゆえに、その原初的形態として、例えばタイに伝えられているトンファーのごとく、通常のトンファーの取っ手の前に(その取っ手を握っている拳を保護するための言わば鍔的役割の)もう一本の取っ手を付け、さらにトンファーの後端を肘に固定するために(手が通る程度の大きさの)紐の輪を付けた形が考えられます。


(4)あるいは、最も簡便な方法としては、握れる程度の太さで、長さはトンファーと同じくらいの短棒を携帯し、いざという時、その短棒の先端を釵の如くに逆手持ちして前腕をカバーしつつ、空手の上段受けの形で攻撃を禦ぎ、直ちに突きで反撃に転ずるという方法も考えられます。


(5)はたまた、彼の塚原卜伝のエピソードにあるがごとく、囲炉裏端で来客に不意に切りつけられた時、とっさに鍋のフタの取っ手を掴み防禦したいうやり方を応用して、言わば前腕防禦専用の小型の楯を携帯することも考えられます。


(6)私が思うに、少なくとも沖縄に伝えられているトンファーのそもそもの原初的形態は上記(3)のタイ式トンファーのごときスタイルからスタートし、次第に創意工夫が加えられ現在の形と技法に至ったものと解されます。その理由について次のように考えられます。


(7)例えば、タイ式トンファーのごとき場合、確かに前腕は完全に防禦できますが、(後端が紐で肘に固定されているため)攻撃という意味では突きか、もしくはそのまま殴り付けることしかできません。

 仮に、紐を外したとしても、拳の前のもう一本の取っ手が妨げとなって、本手持ちが不十分となるため十分な上段打ちができません。当然、本手持ちでの受けも不十分とならざるを得ません。

 この場合において、様々な試行錯誤と創意工夫のもと、操作に熟練すれば必ずしも腕を固定するための紐は必要ないこと、また(拳を保護するための)もう一本の取っ手を外すことにより、トンファーの振り方が自由自在になること、従ってまた、より自由に攻防の技が繰り出せること、などの利点を見出したものと考えられます。


 上記の(4)の場合は、簡便ではありますが(単に逆手持ちで握るだけでは)どうしても短棒と肘の固定に不安があること、また当然のことながら拳の安全にも難点があります。

 この場合においても、器物に「取っ手」を付けることにより、その有効かつ適切な機能アップが図れるという無形の技術的思想の観点から、その矛盾解決の方法として自然にトンファー式の取っ手が工夫されたであろうことは(タイ式トンファーの例を引くまでもなく)自ずから理解されるところです。

 もとよりそこには、ある程度の試行錯誤と創意工夫が反復されたことでしょうが、ともあれ、これにより前腕を安全に防禦でき、かつ十分なる逆手持ちの突きができること、さらにそこから、(逆手持ちから)直ちに本手持ちに切り替えての振り打ちや受けなどに変化できる高度な技術の体系が生み出されたということであります。


※ そこで、オリシトヨクさまに質問をさせて頂きます。しっかりと答えて下さい。


 貴方の言われる、トンファー『碾(ひ)き臼取っ手説」を通常の人間の感覚で受け止めれば、上記の(3)(4)(5)のごとき実践の状況がその背後にあったということになります。

 例えば、碾(ひ)き臼で農作業中のお百姓さんが、突然、不審者に襲われ六尺棒で脳天を攻撃された。そこで(塚原卜伝よろしく)とっさに重さが優に20キロを超える上臼の取っ手を掴み、空手の上段受けの形で、相手の六尺棒の攻撃を受けたという事実があるか、と言うことです。

 百歩譲って、そのような場面は無いとしても、件(くだん)のお百姓さんは、田畑での農作業の合い間に、常時、上記の『碾(ひ)き臼型トンファー』を振り回して稽古に励んでいたという事実があったのか、と言うことです。

 なぜかと言えば、常時そのようにして稽古され、かつ様々な試行錯誤と創意工夫が反復されて初めて、今日みられるような神妙なレベルのトンファーの術理が生まれるのが道理だからです。


 そもそも、人間の脳というものは、実践行動があって初めて十分に機能する性質のものです。言い換えれば、何ごとであれ事物発展のプロセスには、具体的な実践行動が不可欠なのです。これは人間社会の初歩的な通念ですす。

 そのゆえに、私は貴方に、20キロを優に超える『碾(ひ)き臼型トンファー』を使って毎日々稽古していたという事実があったのかを敢て確認しているのです。

 このバカバカしくも愚かな事実が貴方によって証明されない限り、『碾(ひ)き臼型トンファー』からトンファー術が発生したということは論理的には言えないのです。

 もし貴方が、あると強弁されるのであれば、それは妄想か、あるいは魔法か、はたまた他愛もないお伽話と断ぜざるを得ません。

 貴方は碾(ひ)き臼の取っ手、取っ手と熱病のようにうなされておりますが、現実問題として優に20キロを超える『碾(ひ)き臼型トンファー』など実際に使用できるのでしょうか。その意味で『碾(ひ)き臼型トンファー』は、言わば動いていない船と同じです。

 そもそも動いてもいない船(実践行動の欠落している意)の舵をどのように切ろうと船は方向を変えることはできません。もし、そんなことを本気で考えている船長がいたとすれば、部下たる船員の嘲笑を買い、バカにされるのがオチであります。失礼ながら、オリシトヨクさまの言われていることはそれと同じことなのです。

 現実に使われることなど想像することすらできない『碾(ひ)き臼型トンファー』からどうして高度な技術体系が生まれるのでしょう。明確にお答え願います。

 なぜ貴方がそんな馬鹿げたことを信ずるのかと言えば、貴方はトンファーの技法や術理がどんなものかご存知ないからであります。知らないがゆえにデタラメなことを平気で分け知り顔で言えるのです。

 古来、謙虚さを貴ぶ日本人は、そのような傲慢不遜な態度を『恥ずかしい』こととして忌み嫌うのです。


 ともあれ、否定ばかりでは貴方も立つ瀬が無いでしょう。そのゆえに私は次のようにアドバイスしたく思います。

 既に述べましたように、トンファー「碾(ひ)き臼取っ手説」は合理性が甚だしく欠落しております。ゆえに放棄すべきです。しかし、上記(5)のトンファー「鍋のフタ起源説」は可能性としては否定はできません。ゆえに、貴方は遅疑逡巡することなく過去の盲信を捨てて、新たにトンファー「鍋のフタ起源説」を主張されると宜しいと思います。

 塚原卜伝のエピソードにある、鍋のフタの取っ手がどのような形状のものかはもとより知る由もありませんが、ここでは、一応、「つまみ」状のものとします。

 件(くだん)の囲炉裏端の一件で、「鍋のフタを利用して前腕で禦ぎ敵を制する法」を編み出した卜伝が、その鍋のフタをさらに使い易くするために、取っ手のつまみを長くして、逆手の持ち方を工夫し、長さは肘をカバーできる程度に伸ばし、反対に取っ手から前の不要な部分をカットし、全体的に前腕の形に合わせて瓢箪型の形状にし(この形状は防禦に有利でかつ遠心力が働きます)、さらに防禦と打撃の威力を増すために材質を硬い樫の木に変える等の工夫が想像されます。

 このようにして工夫されたトンファーが、仮に卜伝の時代にあれば、携帯に便利であり、とっさの理不尽な攻撃にも安全に前腕を守れ、かつ反撃にも威力が発揮されるので重宝されたことと思います。

 要するに、トンファー「碾(ひ)き臼取っ手説」は荒唐無稽なお伽話ですが、トンファー「鍋のフタ起源説」は必ずしも荒唐無稽ではないと考えられます。なぜなら、それを創意工夫に足る稽古の実践がプロセスとして存在するからです。


四、戦場の兵法について

 実戦において前腕で受ける技法がいかに有効であるかについて古武術・時代考証家の名和弓雄先生は次のように書いておられます。


「続 間違いだらけの時代劇」(名和弓雄著 河出文庫)より
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 大勢の侍たちが剣術の稽古をしていると、その中に一人、突きの達人がいて、次から次に相手の胸を突いて、突き倒してしまう。刺突の方法が、まことに珍しいので、どの相手も意表を衝かれて負けてしまう。

 その侍の剣法は、左の腕に、打たれてもこたえない丈夫な防具をまいて立ち合い、相手が打ち込んでくると、その木刀を左腕で受け止め、左腕の下から、右手の木刀で相手の胸を、したたかに突いて倒す…というやり方であった。

 一見、まことに幼稚に見えるし、馬鹿馬鹿しいほど簡単な方法であるが、この侍、なかなかの練達の技量で、誰も負けてしまう。そのうちに、負けた連中が、不平を唱えて騒ぎ出した。

 負け組みの言い分は、「こんな馬鹿げた剣法があるはずがない。第一、戦場であれば、腕を斬り落とされてしまうではないか。実戦に使えない兵法の型など、ありえない」と言うのである。

 この言い分に突きの達人は答えた。

 「自分はたび重なる合戦場で、いつもこのやり方で、敵を倒してきた。実戦になると、この兵法が一番すぐれていると思っている」と反論して譲らない。

 「いや、それは信じがたい話である。敵の斬りかけてくる白刃を、左腕で受け止めるなど、そのような危険なことが出来るはずがない」と双方言いつのって、争いになりかけた。

 突きの達人は、負け組みの侍たちに言った。「議論より、確かな証拠をご覧にいれよう」と。論争に加わらなかった中立の侍たちのとりなしで、とにかく、突きの達人の屋敷まで同道することになった。(中略)

 突きの達人が、これをご覧いただきたいと…と、具足櫃(ぐそくびつ)から取り出された具足は、粗末なものであったが、一同は付属している籠手(こて)を見てあっ気にとられた。その籠手は筒籠手で、特別注文で入念に作らせたものらしく、具足には不釣合いなくらい頑丈で、立派であった。

 さらに一同は、左の筒籠手の厚い鉄板の上に残っている無数の斬り込み(刀の傷痕)を見て、思わず息をのんだ。

 負け組みの侍たちのすべてが納得した。いかにも…戦場の兵法とは、このようなものか、と歴戦の体験兵法を認めたのである。

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五、まとめ

 凡そ、事物の発展には、必ずその原初的形態とその歴史的プロセスがあります。今日、見るところの攻防一体の武器たるトンファーをその原初的形態という観点で捉えると、一応、その形状などから判断して「防・守」を主とする武器として出発したものと解するとができます。

 とは言え、もとより攻防は一体であり、かつ事物には必ず両面性がありますから、「防・守」の中にも自ずから「攻」の側面があります。そのゆえに、当初は「防・守」が主体であったトンファー術も、その創意工夫により次第に今日におけるような攻防一体の精妙な武器術に発展したのだ言えます。

 言い換えれば、例えば、タイ式トンファーを(その形状から)今日のトンファーの原初的形態と仮定すれば、その形状を踏まえ、ある程度の試行錯誤と創意工夫が反復されれば、今日におけるトンファーの形と用法に無理なく帰結するであろうことは明白です。

 俗説のごとく『碾(ひ)き臼の取っ手』をヒントにトンファーの取っ手が生まれたと言われても、そもそも原初的形態とも解せられるタイ式トンファーの場合には(取っ手を握って回すという)そのイメージそのものが該当しません。

 即ち、今日におけるトンファーのごとく、取っ手を回転軸として攻防自在に操作するという技法よりも、最も基本的かつ重要な技法たる防禦的機能に有効な形で取っ手が工夫されているからであります。

 そのゆえに、稽古という実践の中で、次第により機能的な使い方が工夫され、やがて今日のトンファーの形が完成し、同時に、逆手持ちの用法のみならず、本手持ちによる受け、振り打ち、逆回し打ちなど攻防自在の用法が完成したと解するのが適当であります。

 思うに、タイには原初的形態のトンファーが(中国から)棒とともに伝えられ、そのまま今日に至ったものとも解せられます。これに対して、琉球には初めから完成された形のトンファーが一定の技法とともに移入されたものと解せられます。木製の棒に取っ手(把手)が付いているトンファーと同じような武器が中国にもありますので、これはそう考えた方が適当です。

 ゆえに、今日見られる琉球のトンファーはタイのそれとは比較にならないほど高度な技法の体系を有しているのだと言えます。もとより、そこには伝来後の様々な創意工夫が反復され、いわゆる琉球化したトンファー術となっていることは当然のことであります。

 終わりに、オリシトヨクさまに申し上げます。そもそも言論の自由なるものは、その言論の中味を吟味し検討することにあります。

 この最も重要かつ肝心な部分は一切論ぜず、ただ只、信じている、信じているの一点張りでは、凡そ言論の自由の名に値しません。それは宗教家の論としては立派ではも通常の社会通念には著しく反します。このことを申し添えておきます。

 多少、辛めの論評となりましたが、特別、貴方に悪意がある分けではありません。それはご理解ください。オリシトヨクさまのご意見を奇貨として(貴方宛ではなく)この拙文を読まれる読者の方々に本質を考えることの意義について、その一例を示したものであります。
posted by 孫子塾塾長 at 08:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 時事評論